村山富市元首相の訃報。101歳と、見紛うことなき大往生ですが、政界が連立の組み合わせでドタバタ中のこのタイミングというのが、何とも不思議なめぐり合わせです(←なんか、新聞の社説や1面コラムみたいな出だし(笑))。
村山氏は言わずと知れた、自民党と旧社会党というあまりにも無理筋な連立における最初の首相。当時18歳でまだ選挙権がなかった自分でさえ仰天しましたが、これを思うと元々「自民党の出張所」みたいな党が連立に動いても、まったく意外性は無いですね。
「大正生まれの村山氏は戦争に行ってるはずだよな」と思って経歴を見てみると、学徒出陣で宮崎の連隊の軍曹だったとか。ここで「あれ?」と思ったのですが、ゴー宣シリーズで(玉音放送に「よかった〜!」と言ってしまい上官にぶん殴られたエピソードが)何回か描かれているよしりん先生のお父様も宮崎の部隊にいたはず。もしかしたら、どこかでニアミスしていたような運命のイタズラがあったかもしれませんね。
自民党と旧社会党の連立はどう考えても無理筋(だけど4年も続いた)ですが、社会党は羽田内閣の連立与党を離脱して河野洋平氏(あ!「談話」仲間!(笑))の打診で自民と連立し、その結果村山氏は首相となったので、「時勢」にしっかり乗った人物と言えるでしょう。
現在のチマチマした政局を見ていると、あまりにも強力な時勢の激流を体験してきた戦中世代は、やはりイザという時の思い切りが良いのかな?と思ってしまいます。
そして1年半程度の首相在任中に、村山氏は「自虐史観の〝金字塔〟」とも言える「村山談話」を発表し、以後30年以上に渡って自民党はその呪縛から抜けられません。
これって「社会党委員長という立場」においては、「会心の一撃級の〝偉業〟」かもしれません。それを実現させたのが「自民との連立」だったのだから、やはりこれは時勢を掴んだからこそ成し得た結果、と言えるでしょう。
政局の流れはシケた方向に流れそうな気配ですが、これが看板としての「保守」「リベラル」に関わらずその根を覆っている、戦後民主主義の「漂着点」なのでしょうか。





















